手のひらの上の小さな命
１０日ほど前から都心では桜が咲いたということで盛り上がっている。花見というのも時代によって少しずつ変化するようで、そんなことが話題になる。まあ、いつの時代もそんなもんだろう。場所取りとかいって、会社の名前（すごいところなど、部署名だけかいてあるんだぜ）などを書いた紙を貼ったりするのはちと見苦しい。まあ、こちらの桜はそんな心配やらも関係ないので、本当の意味で花が楽しめる。
それはそうと、都心より一週間ほど遅れて、こちらの桜もほぼ満開になってきた。今日は天気もよく、気温も上がって汗ばむくらいだ。朝からいつものように散歩に出掛けた。森の中に山桜がきれいに花を咲かせている。
まだ、枯れ枝が目立つが、そんなところに目の覚めるような花の美しさだ。写真というのはなかなか難しく、本当の見た目の美しさはなかなか写真ではうまくあらわれないのが残念だ。ウグイスが谷に響きわたる。
いつものように、アカガエルの沼でオタマジャクシの観察をした後、爪の谷の入り口の田んぼに、ひからびたようなアカガエルの卵があるのを見つけた。かなり大量にあったので、これはどうしたのだろうかと見ていた。しばらくその卵を見て、振り返ったその時、目の前の水路を小さな小さなカメが流されていくではないか。
一瞬、その状況がよくのみこめなかった。カ、カメ....クサガメ....流れてる....と、思ったのだが、次に私がしたことはカメラを構えてパチリ（おいおい！）。しばらくカメの姿を追う。カメは必死に足をばたつかせているが、完全に流れにのまれている状態だ。しばらく流れていくのを何をするでもなく見つめる私。そして、その水路の流れる先には、土管があることに気づいた。カメが土管の中に入ったら、その先はどうなるかわからない。その土管がどこにどう繋がっているのかもわからない...土管の手前５０センチくらいのところで、ハッ！とその事実に気づいた私は咄嗟に水路に手を出した。気づいた時にはカメを手ですくっていた。
手ですくいあげるとカメの足が動いた。爪の先は結構するどく、少しチクチクした感触だが、なんだかくすぐったくて、その動きに私はもう完全に心を奪われてしまった。かわいい。かわいいのだ。手のひらにのったカメの感触は、「生きている」という感触だ。
この手のひらに小さい命が生きている実感だ。私はそのかわいい生き物を今、この手ですくいあげたのだと。
とりあえず、ちかくの田んぼに置いてみた。すると、ゆっくりと歩きだした。
が、また水路の方にいこうとする。「おいおい、そっちはもういかない方がいいとおもうよ」といいながら、拾い上げて、水路と反対の方向に頭を向けてやる。丁度５００円玉くらいの大きさのカメが、のそりのそりと歩いてはとまる。私はしばらくそこに座り込んでカメをみていた。一つ一つのカメの動作に、なんとなく、話しかけながら。そして、後ろ髪をひかれる思いでカメとわかれた。元気で育つんだよ。もう水路には落ちるなよ。
しばらく歩いたところに、先日から気になっているスミレがある。ここにだけ、目立つ濃い色のスミレが咲いているのだ。後で色々調べたり、人にきいたり、したところ、これはアカネスミレだということがわかった。
とにかく、今はスミレが全開で咲き始めた。しばらくはスミレの季節だろう。
そうして歩いていても、ずっと手のひらにさっきの子ガメの感触が残っている。一瞬の出会いだが、もう、まるで我が子のように思ってしまっている自分がある。ちゃんと歩いているだろうか？水路にはもう落ちないだろうか？などと色々心配する。そうやって考えているうちに、ふと、あの田んぼではなくて、もっと奥のアカガエルの沼あたりに連れて行ってあげたほうが、安心して暮らせるかな？オタマジャクシたちもいるし。などと考え始めた私である。そうなると、引き返そうかどうしようかとしばし迷う。あまり余計なことをしないほうがいいかな？でも、もし、また水路に落ちたら....などと考える。よし、とりあえず、一通り散歩してきて、帰りにまだあそこにいたら奥のアカガエルの沼に連れて行ってやろう。そう思った。
くねくね峠も、冬の乾いた風景から、少しだけ緑が増えてきた。これから新芽が出れば急激にみずみずしく、湿った道になっていくのだが。今はまだ冬を少しひきずっている。
今日はカメを見たからということもあり、いままでで一番多くカメをみた場所、くねくね谷の途中の田んぼの方に降りていく。
土手にホタルカズラが沢山咲いている。濃い青色がまぶしい花だ。
田んぼのそばの水路をみると、タニシが歩いていた。ここの水路はドジョウもいる、タニシもいる、と、自然のままの土の水路だ。狭い狭い水路だが、いろんなドラマがあるものだな。
さて、散歩をしていても、どうにも手のひらの感触、あのカメのことが頭からはなれない。まあ、とにかく、今日の散歩はここまで。戻ってみよう。そうして、カメがいた田んぼのあたりまで戻る。何故か早足になる。きっとまだいるだろう、そう思っていた。
カメのいた田んぼに近づくと、田んぼをカラスが歩いているのが見えた。カラスは私に気づくと飛んでいった。カメのいたあたりを一生懸命探すが、カメの姿はなかった。田んぼのまわりをぐるりと見てみたが、どこにもカメの姿はなかった。もっとも、田んぼの真ん中は枯れた稲の茎が残っているため、よく見ることが出来ない。あのなかにいるのかもしれないと思った。ふと、さっきのカラスが気になる。まさか、カラスに襲われたりしていないよな。少し不安になる。とにかく、元気で育ってくれよ。祈るような気持ちと、手のひらに感じたあの忘れられない感触を思い出しながら、わたしは家へとむかった。
